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私的小説 紅の宇宙 (目次)




プロローグ

第1話

第2話

第3話

第4話 
Gパパの小説で連載中

●エピローグ 
未連載
  

私的小説 紅の宇宙 (本編)



プロローグ

 紅の宇宙(第一部)


 千年という時を越えて
 人は失った歴史を取り戻すことができるのか
 時代という大きな流れによって
 忘却の縁に封じ込まれた
 人類の真なる歴史
 民主主義といわれた
 人が人として生きることができた時代
 青年はすべてを取り戻すため戦う
 漆黒の宇宙を
 深紅の炎に染めて


 プロローグ


 宇宙標準暦一五六二年八月一○日、惑星フェリザールの宮殿では豪華な祝宴が開かれていた。この日、クレティナス王国第一五代国王となったアスラール三世の即位を祝ってのことである。
 国内外から王族、貴族、高官、高級軍人達が家族を伴って集まり、テーブルいっぱいに並
べられた美しい料理を囲み、宮廷楽士の雅びやかな演奏に耳を傾けていた。宮殿の外では、王国の誇る宇宙艦隊による砲声がとどろき、青白い光の帯が夜の空を彩っていた。
 美しい金髪とアイスブルーの瞳をたずさえた若き国王アスラール三世は、金糸、銀糸に装飾された赤を基調とするシルクのマントをまとい、人々の中心に座していた。彼のまわりには、王妃レティシア姫をはじめ、宰相ウォンテリュリー、叔父であるヒルファーディング公爵、その妻アゼリアがあり、さらにそのまわりに彼の政権を支える執政リーデンバラス、王国軍司令長官ベルトール元帥、戦略宇宙軍司令長官レーン・ドルト元帥、国防軍司令長官イストリア元帥等がとりかこんで祝いの言葉を述べていた。彼らは皆、アスラール三世が王太子の頃より手足となって、彼の王権の確立を支えてきた者達であった。
 このクレティナス王国は、銀河に存在する恒星間国家の中でも、銀河皇帝を擁する千年帝国(銀河帝国)をのぞいては、比肩のしようのない勢力を持つ強国であった。汎銀河的な広がりを持つ人類の精神的な支配者である銀河教皇でさえ、クレティナスには一目を置き、アスラールの即位式には教皇の代理としてバレンヌ大司教を送ってきていた。
 しかし、こうした勢力を誇るクレティナス王国も一○年前までは辺境で細々と命脈を保つ小国の一つにすぎなかったのである。絶えず隣国の脅威にさらされ、領土を日ごとに侵食されるという国であった。二○○年以上も戦乱の続く銀河の中ではあまりにも小さな存在だったと言える。
 それが、この一○年間で百以上の星系を従える一大恒星間国家に成長していた。人口で二○倍、面積で七○倍とその膨張は著しい。人々は、そのすべての要因をアスラール三世の英明さに求めている。銀河最大の征服者、史上最高の名君、偉大なる英雄王、彼を彩る修飾詞は皆、彼の才能と実績に由来していた。
 この年、二八歳になる金髪の若き英雄王は、美の女神に愛されているといっていいほどの美貌を持ち、見る者すべてに強い印象を与えた。すらりとのびて均整のとれた肢体もその美しさを補っている。美貌と才能の二つが最も高い次元で結び付けられたと称してよかった。さらに彼には美しい妻がいた。彼の隣に立って見劣りしない女性など銀河中を捜しても唯一彼の妻をのぞいては存在しない。彼の妻レティシア姫も彼より五つ年下の清楚で可憐な美しい女性であった。二人の並んだ姿を見た者は皆一様に、古代の人々が想像した神と女神の姿を思い浮かべるのだった。
 その美しい夫妻は、祝宴の合間をぬって宮殿のバルコニーに足を運び、今にも落ちてきそうな輝きを放つ満天の星空を眺めていた。薄着の肌には少し冷たい夜風が二人の体を洗っていた。
「寒くはないか、レティシア」
「いいえ。こうして星を見ていると何もかも忘れてしまいそうですもの」
 つい数刻前、自らの黄金の髪の上に幾多の人々の支配者の象徴である冠をのせていた青年は、妻の声にうなづきながら空を見上げていた。アイスブルーの瞳に星々の光を受けてますます輝きを増している。見る者すべてを魅了するような妖しい瞳であった。
「ああ、星はすべてを忘れさせてくれる」
 アスラールは目を細めると視線を彼の愛する美しい妻のほうへ移した。レティシアの長い光沢のある金髪が風になびいていた。
 だが……彼には忘れてしまうことのできないものがあった。
「レティシア、余はよくばりな男だ。銀河の五分の一を平らげ、国王の地位につき、そなたまで手に入れたというのに満足していない。……この空に輝く星々すべてをこの手につかまなくては、余の心は満たされないのかもしれない」
 レティシアは目をふせた。寂しげな瞳が一瞬だけアスラールに向けられたがレティシアの表情はすぐに普段の彼女に戻っていた。
「アスラール様の使命感がそうさせているのです。わたくしのことはお気になさらずに、アスラール様のやりたいことをなさって下さい」
 レティシアは強い女性であった。常に自分のことよりもアスラールのことを優先させていた。それゆえにアスラールは彼女の気持ちが痛いほどわかり、自分の理想、あるいは野心のために彼女を犠牲にしてしまったことを心のどこかで恥じた。しかし、彼は自分に言い聞かせるように言った。
「すまない、レティシア。しかし、今、余がこうしている間にも、あの宇宙は戦いの光にあふれているのだ。二○○年にもおよぶ銀河の混乱は終わってはいない。誰かがこの戦いに終
止符を打たなければ……」
 アスラールが全部を言いおわる前にレティシアの口が開いた。
「わかっております。ですからアスラール様がお戦いになるのですね。わたくしは、お止めはしません。ここで、アスラール様がただ一刻も早くすべてを手に入れられて、わたくしの許へ戻ってきて下さる日をお待ちしております」
 金髪の若き王は、彼の愛する妻の背にしなやかなその腕をそっとまわした。男性にしては少し細い優美な腕だった。その中で、レティシアは全身の力が抜けていくのを感じながら華奢な肢体を彼女の最愛の夫にあずけた。
「約束しよう。必ず銀河を手に入れてそなたの許へ帰ってくると」
 アスラールの端麗な唇の震えが止まると、そのままそっとレティシアのやわらかい唇に重ねられた。これが、今彼にできる妻への精一杯の贈り物であった。
 銀河の戦いは今も続いている。各地で多くの人の幸せを奪い、傷つけているのだ。戦いの始まりが何だったのか、今となっては知る意味もない。しかし、宇宙には自分の理想を求めて戦う英雄達がきらぼしのごとく存在していた。銀河皇帝ゼリュート、銀河教皇カーザイル、獅子王カセリア、神将タイラー、戦争の天才レオン・ビリュフォンド、そして、英雄王アスラール。この中の誰が銀河を手中に納めるか予言できる者はいない。だが、これらの人物が歴史を創るであろうことは確かであった。
 そして……
 アスラールは、祝宴の行なわれている広間の方を振り返った。そこには、彼の信頼する部下達が顔をそろえていた。だれもかれも才能あふれる人物達だ。
「余はよい部下達に恵まれている。レティシアの許へ帰れる日もそう遠くはないかも知れない」
 アスラールは独りつぶやいた。
 空にはまだ美しい星々の光が輝いていた。戦火の光も混じっているのかもしれない。しかし、地上から見上げる者達にとっては美しい夜の光景でしかなかった。その中で、星々の向こうに現在も戦っている彼の部下達がいることを、アスラールは思い出していた。




第1話

     1


 アルフリート・クラインという名の若者がいる。
 エルベルク、トランザの両大戦で名をあげたクレティナス王国の英雄である。彼と戦った将兵の中には、「赤の飛龍」と呼ぶ者もいる。彼が燃え上がる炎のような赤い髪の持ち主であり、戦場で飛龍のように翔めぐるその戦い方が芸術的であるがゆえに。
 この年、二五歳になるアルフリートは平民の出でありながら、クレティナス王国宇宙軍の将官であった。五年前、彼は士官学校を卒業したばかりの少尉という身ながら、上官に進言し、敵に包囲されて絶体絶命の危機に陥っていた軍を、奇策をもって無事に退却させている。彼の地位は、彼の年齢の二倍ほど長く生きてきた将官さえ凌駕するその功績によって築き上げられていた。
 少将、王国では五○○隻の艦艇からなる艦隊の司令官か、銀河各地に散らばる基地要塞の司令官の任にあたる。現在、クレティナス王国には四八の艦隊があり、各地に派遣されていたが、アルフリートはそのうちのひとつ第四四艦隊、別名「赤の艦隊」と呼ばれる宇宙艦隊の司令官を務めていた。

 漆黒の宇宙空間に、創造神によって生み出された巨大な天体の光にまじって、人間というちっぽけな生命につくられた光の群れが動いている。まるで川の流れのようだ。光は点いたり消えたりしながら、ある一定の方向に向かっていた。遠い宇宙から眺めれば、実に美しい光景であった。銀河の川はゆったりと、そして整然と流れていた。
 しかし、宇宙を旅する者にとっては、それは、美しいなどといった感傷とは程遠いものとして映るはずだった。
 側面に赤い竜のマークを施した五○○隻前後の宇宙艦隊。噂の「赤の艦隊」であった。

 第四四艦隊司令官付き幕僚ファン・ラープ准将は、髪を乱しながら艦隊旗艦「飛龍」の艦橋へと続く高速エレベーターの中にいた。彼は、左手に報告書のたぐいをかかえ、右手に飲みかけのコーヒーを持って乗り込んだものだから、エレベーターが動きだすと思わず転びそこなっていた。
「だいたいここは宇宙空間なんだから、重力なんて必要ないんだ」
 この時代、宇宙を航行する船には、たいてい人工重力発生装置が備え付けられていた。そのため、以前まで問題であった宇宙酔いは著しく改善され、人々は宇宙にいて地上と同じ生活ができたのである。しかし、ファン・ラープは常々重力の恩恵にあずかっていながらも、自分が転びそうになると責任を重力に押しつけたのだった。
 言ってからファン・ラープはハッとしてまわりに人がいないか確認した。そういえば昨日も同じことをエレベーターの中で言って同僚に笑われたのである。
「やれやれ」
 進歩のない男であった。
 ファン・ラープは、彼の上官には及ばないものの二七歳で准将にスピード出世したエリートであったが、外見からも、動作からも、彼の軍隊での階級はあまりにも似つかわしくないものだった。彼を羨望の眼差しで見る同僚達の中には、彼を実力のない運だけの男と中傷する者も大勢いた。とはいえ、それは多分に漏れず真実のことであったため、彼は否定しなかった。奇跡と偶然、彼の進むところ必ずこの二人の女神が微笑みかけていたのである。それゆえに、人は彼のことを強運の男「ラッキー・ファン」と呼んでいた。
 軍人らしくない男のナンバーワンと言えばファン・ラープ准将だったが、ナンバーツーと言えば彼の上官もその候補にあげられた。
 アルフリート・クライン少将は艦長席の一段上にある指揮官席に足を伸ばして座り、シートを倒して天井の全天空スクリーンに映し出される星の海をぼんやりと眺めていた。艦橋にのぼり彼を見つけたとき、ファンは一瞬眠っているのではないかと錯覚を覚えた。「まったく不謹慎な」と自分のことは棚に上げてファンはつぶやき、大股に歩いて上官に近づいた。
「誰が不謹慎だって、ファン・ラープ准将」
 突然のアルフリートの声に、ファンは一瞬たじろいだ。
「あの、いえ。……起きていらしたのですか」
 いかにもばつが悪そうにファンは頭をかいた。そこにアルフリートの意地の悪い視線が注がれていた。
「寝ていたほうが良かったのかい?」
 ファン・ラープにとって敵など存在しえなかった。彼の強運の前ではあらゆるものが彼にプラスに働き、不幸の神は皆集団で手をつないで飛んでいってしまうのである。しかし運命の女神も彼にただ一つだけ天敵を与えていた。アルフリート・クラインという名の彼の直接の上官であった。ファンはアルフリートの前だけではどうしても調子が狂うのだった。
「何か私に用件か、准将?」
 体勢を整えるのに少しの時間を要してファンは応えた。
「はい、先刻、先行させていた索敵艦が戻りましたので報告にうかがいました。結果は周囲五時間以内の距離に、未確認の艦影はありませんでした。どうやら敵は外に出ていないように思えます」
「それは君の意見かい」
 アルフリートの声は柔らかく反感を買う口調ではなかったが、表情に軽い笑みが含まれていた。
「敵は要塞にこもってこちらの出方を待つというわけだ」
「いえ、そう確定したわけでは……それはあくまでも一般論でして」
 ファンは口をにごした。彼より二つ年下の上官が、彼を試しているかに見えたからである。生意気な奴だ、とは口に出しては言えなかったが、ファンには多分に面白くないところがあった。だが、アルフリートはそんなファンの内面を承知して言っていたのである。
「……だろうな、今回の敵は今までの相手とは違う」
「承知しています。敵の反応がないのは、要塞にこもっているか、あるいは駐留艦隊をすでに外に出して待機させているか、そのどちらかでしょう。おそらく敵は後者をとると思われますが」
 ファンは考えるところを素直に述べた。
「その通り、私も君と同じ意見だ」
 結局、ファンはアルフリートには逆らえない。彼の上官はクレティナス王国において最強と言われる第四四艦隊の司令官なのだ。幾多の戦いですでに数えきれぬ戦果を上げて国王の信頼も厚い。それに、アルフリートは彼にとっても人間的に嫌いなタイプではなかった。両親から受け継いだ身分を背に尊大ぶる貴族や、職務に忠実で人を殺すことに何のためらいも持たない軍人と違って、アルフリートは温厚で優しい人物であった。たまたまファンに対しては意地の悪いところを見せていたが、それとて、部下との親交を深めるための彼の手段にすぎなかったのである。
 宇宙標準暦一五六二年、銀河辺境部に台頭した恒星間国家クレティナス王国は、戦乱の続く銀河のなかで急速にその勢力を伸ばしていた。英明で知られる国王アスラール三世を中心に、各地に艦隊を派遣し膨張の一途をたどっていたのである。ところが、この年になって、クレティナス王国は一つの壁にうちあたっていた。銀河皇帝ゼリュートを中心とする千年帝国(銀河帝国)との衝突である。連戦連勝をつづけてきたクレティナス王国軍は、ここにきて敗北を重ねた。千年帝国の一将であるユークリッド・タイラーという男の前に。「バルディアスの門」、千年帝国(銀河帝国)が辺境防衛のために建設し、名将ユークリッド・タイラーが守る宇宙要塞である。この要塞は、クレティナス王国が銀河中心部に進出するためのルート上に位置し、千年帝国の重要拠点の一つとなっていた。標準暦の二月以来、クレティナス王国は三度の遠征を行いながら未だに要塞は健在であった。
 アルフリート・クライン率いる第四四艦隊は、「バルディアスの門」攻略に派遣された四度目の遠征軍だったのである。
「閣下!」
 全方向警戒レーダーを監視していた情報士官が突然、声をあげた。
「右舷二時の方向250光秒にエネルギー反応。未確認の艦影あります。おそらく、銀河帝国軍の索敵艦と思われます」
 指揮官席に身を沈めていたアルフリートは眉をひそめた。先程のファン・ラープの報告では、この近くには艦影はなかったはずである。
「次元シールドつきの索敵艦か?」
 時空震動というワープ航法にも使われている原理を外壁に応用し、ある一定量の空間異常を発生させると、艦艇は通常のレーダーでは補足できなくなる。現在の技術ではまだ完全にレーダーから姿を消すことはできなかったが、妨害電波や反重力磁場の併用によって長距離からの索敵には十分対応できたのである。
「どうやら、こちらは見つけられてしまったようですね」
 ファン・ラープ准将は緊張感のない眼差しで上官を見やった。面白いことになってきたと言わんばかりの表情である。常に幸運と供にある男には恐れなどなかった。
「ああ、数時間後には敵の艦隊と遭遇できるはずだ」
 コンソールのディスプレイに映しだされる敵要塞と艦隊の位置関係を見ながらアルフリートは言った。
「しかし……あちらが来るのを待っている理由もない。どこかこの近くで、こちらが先に布陣できそうな星系はないものか」
 それには、宇宙航海のベテランである「飛龍」艦長のベルクナー大佐が応えた。
「現在位置から十時の方向420光秒の距離にベルブロンツァと呼ばれる恒星系があります。その星系には二重太陽と多量の放射性物質が存在していてレーダーが使えませんが、わが艦隊の方が先に到達できると思います」
 アルフリートはディスプレイスクリーンに星系の位置を示し、ベルブロンツァの詳細な資料を呼び出すと数瞬後、笑みを浮かべた。
「なるほど、ベルブロンツァか。面白い」
 ベルブロンツァ星系は要塞「バルディアスの門」より距離を隔てること○・三光年の場所にあった。この宙域は二つの巨大なガス状の恒星アーメスとラーが引き起こす重力磁場の干渉によって、重力異常が発生し、その周囲をドーナツ状に放射性ガス物質が囲んでいたため、宇宙でもかなり危険な宙域となっていた。
 アルフリート・クライン率いるクレティナス王国軍第四四艦隊は、その片方の恒星アーメスを背に、濃いガス雲の中に隠れるように布陣した。時おり、ガスの中を走る電気エネルギーの閃光が艦を揺らしたが、特別の被害が発生することはなかった。
 そして、三時間三○分後、彼らの前に千年帝国が誇る六○○隻の宇宙艦隊が出現し、クレティナス軍の布陣に呼応するように対峙することになった。

 ユークリッド・タイラー大将。その名を知らぬ者はこの銀河にはおそらくいるまい。千年帝国の英雄、銀河皇帝の臣にして千年帝国バルディアス方面軍総司令官。幾多の戦場で皇帝の軍を率いて戦い、ただの一度の敗北もない不敗の名将、神将タイラー。彼の前に三度の敗北を強いられたクレティナス軍にとって、彼はまさに天敵であった。
 そのタイラーはアルフリートとの戦いを前に表情を険しくしていた。彼の構想した作戦に乱れが生じていたのが主な要因であったが、彼の命令を無視して先行した男に対しての負の感情がその一部を占めていた。
「カルソリーは何を考えているのだ。敵を発見次第、各艦隊が連絡をとって、三方向より同時に包囲攻撃するというものを。勝手に先行されては作戦が台無しではないか」
 ディスプレイスクリーンに映しだされるクレティナス軍と帝国軍の位置関係を見て、タイラーは声をあげた。
 当初、「バルディアスの門」を出撃した駐留艦隊の戦力は第七、第一九、第三二の三個艦隊であった。第七艦隊をユークリッド・タイラー大将、第一九艦隊をオーエン・ラルツ中将、第三二艦隊をヴァルソ・カルソリー中将が指揮し、タイラーが全軍の総司令官を兼ねていた。ところが、アルフリート率いるクレティナス艦隊の前に姿を現したのはカルソリー中将の第三二艦隊だけであり、タイラーとラルツ中将の艦隊はクレティナス艦隊とは未だ720光秒、およそ六時間の距離にあったのである。
「カルソリー中将は功をあせったようじゃな。神将の名が彼を追いつめたと見える」
 通信パネルに白髪混じりの歴戦の勇将といったラルツ中将の顔が映し出され、タイラーに語りかけた。ラルツ中将はすでに六○歳を越えながらも現役の軍人という第一九艦隊の司令官である。タイラーは自分の四倍の戦歴を有するこの人物には常に敬意をはらっていた。
「ラルツ中将、それはどういうことでしょうか」
「わからぬはずはあるまい、タイラー提督」
 ラルツ中将の言葉は、タイラーに対するカルソリー中将の心情を指摘していた。
 ユークリッド・タイラーは三三歳にして、帝国軍最高の名将との評価を受けていた。帝国軍高級士官学校を第二位の成績で卒業したという経歴をもち、実戦においてもその才幹を大いに発揮して現在の地位に就いたのである。しかし、同時にそれは彼に対する他の者の嫉妬や嫉みの感情を招くことになった。特に、タイラーと同期で、高級士官学校を首席で卒業したカルソリーの目には、彼はライバルではなく完全な敵として映っていた。それゆえ、タイラーも傲慢で自己顕示欲の強いカルソリーに対しては、あまり良い感情を持ち合わせていなかった。
「……ですが、軍隊において勝手な振る舞いは許されません。ましてや彼は十数万に及ぶ将
兵の命を預かる身、責任ある行動をとってもらいたいものです」
「しかし、放っておくわけにも行くまい。相手はかの『赤の飛龍』だと聞く。早急に手をうった方が良いのではないかな」
 タイラーは記憶の淵からその名前を呼び起こした。
「アルフリート・クライン少将…ですか?」
「そうじゃ。彼が相手では、カルソリー中将にはちと荷が重すぎようて」
 神将と呼ばれるタイラーも老提督の言葉にはうなずいた。
「わかりました。できる限りのことはしましょう」
 半ばラルツ中将に説得される形でタイラーは応えていた。
 通信パネルに映し出された老提督の画像が消えると、タイラーの副官であるアイスマン大佐が不満の声を上げた。
「迷惑な話です。カルソリー提督というお人は……まったく」
「まあ、そういうな。あれでも同じ主君に仕える僚友だ。見捨てるわけにはいかないさ」
 自分の心に嘘を言っているなと、タイラーは感じながら苦笑した。
「私の大切な友人だからな」

 いつの頃からだろうか。戦争という名の人類史上最悪の犯罪行為が、表面上、一流の演出家による舞台のような美しい光景を描くようになったのは。クレティナス軍と千年帝国軍が衝突したベルブロンツァ恒星系は、各艦隊から放たれた無数の青色の光の帯に彩られていた。暗黒の空間を無秩序なエネルギーの光の矢が飛びかい、衝突が派手な爆発光をあげていた。宇宙標準暦八月一三日、六時一八分のことである。
 ベルブロンツァ恒星系を構成する二重太陽の一つ恒星アーメス、この星を背にして横一列に平陣を敷くクレティナス艦隊に対して、千年帝国艦隊は無限に広がる空間を背に平行陣を敷いて応じた。後に「ベルブロンツァ会戦」と呼ばれることになった戦いは、ごくありふれた両軍の長距離ビームの砲撃戦から始まった。
 帝国軍第三二艦隊司令官ヴァルソ・カルソリー中将は、艦橋にもたらされた報告に笑みを浮かべた。情報士官によって秒単位で送られてくる情報が整理され、中央の全天空スクリーンに恒星アーメスを背にして布陣するクレティナス艦隊の姿が映し出されていた。
「敵の司令官は用兵を知らないと見える。自らの退路を断って戦うなど自殺行為ではないか。この戦い、私の勝ちだな」
 自信にあふれているといえば聞こえはいいが、カルソリーはいささか自信が実力を先行しているタイプの人間だった。彼は高級士官学校時代から戦術理論では誰にも負けたことがなく、教授陣からの評価は第二位のタイラーより高かった。自分が負けるはずがないと彼は常に信じていた。それが不幸にも、彼の自信をして他者の意見を否定させ、敵の力を軽視させる結果になっていた。それに、彼にとっての敵は僚友のユークリッド・タイラー大将だけであり、クレティナス軍のまだ若い司令官など彼の眼中にはなかった。
「失礼ですが……司令官閣下」
 カルソリー中将の幕僚であるエンリーク・ソロ准将が意見を述べた。
「敵は、『背水の陣』を敷いているものと思われます。自らを死地に追込み必勝の念をもって前面の敵を破る……四千年の昔、中国の韓信という武将が使った策です。敵は必死の攻撃を仕掛けてくるでしょう。それに、後方からの攻撃を心配する必要がありませんから、こちらへの攻撃の集中が容易なはずです。用心したほうがよろしいのではないですか」
「甘いな。今の時代、士気の高揚だけで戦争に勝てるものか。敵が戦力を集中してくるならこちらも集中するまでだ。数ではこちらの方が多いのだからな。タイラーが来る前に『赤の飛龍』とかいう小僧を葬ってやるわ」
「ですが、ここはひとまずタイラー提督の到着を待ってからの方が……」
 エンリーク・ソロ准将は、当初の作戦である三艦隊によるクレティナス軍の包囲作戦を支持していた。上官の身勝手で、単独の艦隊でクレティナス軍に挑むことになったが、まだ選択の余地はあったのである。だが、彼の言は不用意にもカルソリーの負の感情をあおることになった。
「君は、この私よりタイラー提督の方が優れているというのか、エンリーク・ソロ准将」
「いえ、決してそのようなことは……」
「ならば、黙っていたまえ。私はこの艦隊の司令官だ」
 カルソリーの表情には明らかに不快の色があった。エンリーク・ソロにはそれがはっきりと感じられ、これ以上の自分の発言は危険だと判断させることになった。
「ハッ。失礼申し上げました、司令官閣下」
 エンリーク・ソロは右手をあげて敬礼すると艦橋から姿を消した。
 カルソリーは不愉快な気分を振り払うように声をあげた。
「撃て、撃て。一隻たりとも逃がすな」
 帝国艦隊六○○隻の砲門が一斉に開き、収束エネルギーの粒子がクレティナス艦隊に雨のように注がれた。艦隊の前面に張られたエネルギーシールドと収束エネルギー粒子(ビーム)が衝突し、激しい閃光があがる。圧倒的な光がすべての感覚をマヒさせ、スクリーンを見つめる将兵達を緊迫が襲った。

 宇宙を彩る光がクレティナス艦隊旗艦「飛龍」の指揮官席に座すアルフリート・クラインの頬を赤く染めていた。開戦後三○分にして、数で勝る千年帝国軍がヴァルソ・カルソリーの構想どおりクレティナス軍をおしていた。
「なかなか、敵もやる。秩序ある戦闘とは言えないが、たいした破壊力だ」
 アルフリートはスクリーン上の帝国軍の勢いのある攻勢に感嘆した。別に困ったという表情ではない。ただ、帝国艦隊の動きを意外な眼で見ていた。
「どうやらこの艦隊には、神将タイラーはいないようですね。神将とも呼ばれる人が、このような戦い方はしないでしょう」
 アルフリートと同様にファン・ラープも敵軍の動きに違和感をもっていた。決して、帝国艦隊の動きが素人のような戦闘というわけではなかったのだが、神将と噂されるタイラーの動きにしては生彩を欠くものだったのである。
「ということは敵がまだ他にいるということだ」
 アルフリートは形のいいあごに手をやった。
「どうします、司令官閣下。さっさと前にいる敵さんを片付けますか」
 あいかわらず緊張感のない表情をファン・ラープはしていた。本当に真剣になって戦争をしているのだろうか、この男に対しては疑問符が投げ掛けられる。戦争に真剣になる人間よりはましと言えるが、自分が生き残るための努力をしようとしないのもファンのファンたる所以であった。
「まったく随分と気楽に言ってくれるな。向こうの方がこちらより一○○隻も数が多いということを忘れて」
 と言いつつも、アルフリートの表情も深刻というにはあまりにも血色のよいものであった。
 戦いは帝国軍有利のまま推移していた。長距離ビームによる砲撃戦から、次第に戦艦同士が艦首を並べて戦闘機やアースムーバーを繰り出す接近戦へと移ろうとしていた。
 巨大な宇宙母艦から大気圏内でも飛行可能な機動性の高いスペースファイターが発進した。火力面では駆逐艦や小型戦闘艇に劣るものの、集団で戦う場合には恐るべき力を発揮する多目的戦闘機である。また、アースムーバーと呼ばれる人型をした接近戦用機動兵器が各艦よりカタパルトによって射ちだされ、艦隊の防衛にあたった。アースムーバーはもともと対惑星攻略戦用に開発された兵器であり、戦闘機ほどの機動性はもてなかったが、内部に小型の核融合炉を有しあらゆる武器を装備できたため、攻撃力だけは戦闘機を凌駕していた。宇宙空間での戦闘では主として艦隊防衛の任にあたっていた。
 アースムーバーによって発射されたビームが、戦艦に攻撃を加えようとした帝国軍の戦闘機の腹部を貫いた。直撃された戦闘機は瞬時に赤い閃光をあげて宇宙の塵と化す。戦闘機のパイロットは光とともに自分の人生の終焉を知った。
 アルフリート・クラインのエメラルドグリーンの瞳に赤い閃光が映し出されていた。艦隊旗艦「飛龍」の艦橋のすぐ近くで戦闘機が爆発したのである。アルフリートは思わず片手をあげて彼を襲った光を遮断した。
「やれやれ。あぶないなあ」
「どうなさいます、司令官閣下?」
 ファン・ラープ准将がにやにやしながら尋ねる。
「ここまでやられては、黙っているわけにもいくまい。そろそろ反撃するとしようか」
 応えると、アルフリートはただちに視線をスクリーンに映し出される前方の敵に向けた。
「陣形を再編成。応戦しつつ凸陣形をとり後退せよ」
「あの…後退…ですか?」
 アルフリートの言葉を聞き間違ったと言わんばかりに、ファン・ラープが聞き返した。
「ああ、後退だ。恒星アーメスの危険宙域ぎりぎりまで陣を退く」
 艦橋を一瞬の沈黙が支配した。ベルブロンツァ恒星系は、二重太陽アーメスとラーの重力磁場の干渉によって局部的な重力異常が発生しているのである。特に恒星の近くは膨大なエネルギーが発生しており、空間の軸そのものが歪んでいた。さらに、先程からのクレティナス艦隊と帝国艦隊の戦闘によって放出されたビームのエネルギーが、付近の放射性ガスに衝突し、エネルギーの乱流を引き起こしていた。
 このような中では、高度に密集した艦隊などひとたまりもない。空間歪みやエネルギー乱流に巻き込まれては戦いどころではなかった。
「司令官閣下。危険が大きすぎます。もし、敵が閣下のお考えどおり凹陣形をとり半包囲体制を敷かなければ吾が軍は壊滅の危機に陥ります」
 幕僚達の表情に険しさが現われた。しかし、アルフリートはそれを軽く受け流した。
「大丈夫。敵にしてもそれが、選択できる最も効率的な戦い方だからな。それに、こちらには『ラッキー・ファン』がいる。彼の運にあやかって私は勝たせてもらうつもりだ」
「では、作戦は敵の艦隊を誘導しての中央突破、背面展開ということで」
「そういうことだ」
 作戦というものは、常にその立案よりも実行に難しさがある。どのように画期的で優れた作戦であっても、実行できなければ実行可能な劣った作戦の方が上なのである。アルフリート率いるクレティナス第四四艦隊、別名「赤の艦隊」と呼ばれるこの艦隊が優れていたのは、まさにその遂行力であった。
 開戦一時間後、アルフリートは艦外に出していた戦闘機、アースムーバーをそれぞれの母艦に収容すると、艦隊を編成し直し凸陣形を敷いて帝国軍に対した。一方、千年帝国軍は、クレティナス軍にあわせるように凹陣形を敷き、半包囲体制をとって構えるこになった。

「クレティナス艦隊が後退しつつあります。我が艦隊の勢いに押されたのでしょう」
 最初、帝国軍第三二艦隊の旗艦トラーナの艦橋に響いたのは下士官の楽観的な報告であった。艦隊司令官ヴァルソ・カルソリー中将は立ち上がると幕僚のエンリーク・ソロ准将の忠告も忘れて歓喜の声を上げた。
「よし!最後のとどめだ。艦隊を再編、凹陣形をとって敵を半包囲する。恒星アーメスに追い詰めて一隻も逃がすな」
 帝国軍は艦列を広げ、砲撃を中央部に位置するクレティナス艦隊に集中した。未だ、戦闘は帝国軍有利に推移している。しかし、エンリーク・ソロはそこに危険を感じていた。「敵が後退!何のために?まだ負けたわけではないだろう」
 艦橋を出て第二作戦司令室に自分の席を求めていたエンリーク・ソロは、あわててメインスクリーンを艦橋と同じ映像に切り替えた。彼は戦術上の後退がすなわち戦略上の敗北であるとの考えを持ってはいなかった。
「なるほど。アーメスの危険宙域限界まで後退するつもりか。こちらを誘っておいて、いよいよ反撃に出るつもりだな」
 エンリーク・ソロは千年帝国軍においてはめずらしい市民階級出身の将官である。まだ二七歳の若さで准将という階級にあったが、クレティナス王国と違って保守的な帝国においてはきわめて異例なことだった。それは、一重に彼の才幹によるものだったが、自尊心の強い彼の上官には認められていなかった。
 スクリーン上のクレティナス艦隊は恒星アーメスの核融合の発光と放射性ガスの反射光に包まれて肉眼では確認不能になっていた。レーダーでは動きを完全に捉えていたが、解析処理されたスクリーンの映像には何かしら不自然さが残るのをエンリークは感じた。
「来る!今見えているのは敵ではない。本体は違う場所だ」
 彼の脳裏を一つの予感が走った。クレティナス艦隊は危険宙域限界まで後退するのと同時にガス雲の中に姿を隠し、帝国艦隊が接近してきたところを一気に撃って出て中央を突破する。そして、帝国軍の背面で急速に反転すると、逆に帝国軍を恒星アーメスの空間歪みとエネルギー乱流の中に追い込んで壊滅させる。神将タイラーが到着するまでに戦いはクレティナス軍の勝利によって終わっている。
「まさかな、いくら名将でもそこまではできまい」
 エンリークは自分の発した言葉に対して疑問を抱いていた。彼は上官と違って敵を過大評価する癖があるといわれる。しかし、今回はそれが過大評価には思われなかった。
 想像と現実が一致することを彼が望んだわけではない。想像が想像のうちに終わることを彼は望んでいた。だが現実は、帝国軍にとって最悪の、クレティナス軍にとって最良の形で推移を始めていた。
 開戦後七五分、危険宙域に敵を追い詰めて包囲攻撃をしていたはずの帝国艦隊は、包囲のために広げて薄くなっていた艦列の一部に予想外の方向から砲撃を受け、一瞬のうちに陣を破られていた。クレティナス艦隊はガス雲を巧みに利用して場所を移動し、帝国軍の隙をついてきたのである。
 クレティナス軍はビームを拡散して反射する小型の衛星を前方に散布して、ビームによる拡散攻撃をしかけてきた。これは、重厚な陣形を破るには火力として足りないところがあったが、薄くなった艦列に多数の艦隊でやられたのなら、その破壊力は計り知れないもがあった。包囲を突破された帝国軍は混乱に陥いった。
「敵は何を考えている。中央突破だと。後退したのではなかったのか!」
 突入してくる敵に対してカルソリーの発した言葉は奇妙なものだった。艦橋の将兵達で頭をかしげた者は彼の影響を受けているせいか一人もいない。彼らは皆、クレティナス軍が後退したところですでに勝敗が決まったのだと信じきっていた。帝国軍でクレティナス軍の後退が擬態であることを読んでいたのは、唯一エンリーク・ソロだけだったのである。
「全艦、反転だ。反転して背後の敵を撃て」
 カルソリーの悲鳴にも似た叫び声が響いた。自信過剰な彼もさすがに事態の緊迫化に気付いていたのである。しかし、すべてが遅かった。
「今ごろ反転したところで敵のいい的になるだけじゃないか。前に逃げられないのなら横に逃げるとか、なんでかんでまた敵に正面から挑まなくてもいいものを」
 エンリークの言葉どおり、帝国軍の背後に出たクレティナス軍は反転する艦隊をいいように破壊していった。反撃できないのをいいことに一方的な攻撃が行なわれたのである。
 暗黒の空間を闇に代わって光の濁流が支配していた。飽和状態に達したエネルギーの渦が艦艇に襲いかかり、無限の虚空に弾き飛ばす。大宇宙の静寂は人間の作り出す不協和音のすべてを飲み込んだ。

 戦いの趨勢は完全にアルフリートの手ににぎられていた。すでに、帝国軍を突破したクレティナス軍は帝国軍の背後に大きく展開し、激しい一方的な攻撃を混乱に陥った艦隊に加えていた。
 宇宙を覆う破壊の閃光がアルフリートの燃える赤い髪を美しく彩った。彼の姿は、主君であるアスラール三世の華麗さには及ばないものの、戦場を翔めぐるその有様は、まるで天空を舞う美しき赤龍を想像させた。まさに「赤の飛龍」であった。
「全艦、主砲三連斉射」
 クレティナス軍の砲撃は正確に規則正しく行なわれた。一○隻ごとにわけられた小艦隊が一斉に一隻の艦艇をねらって主砲を斉射する。ただでさえ混乱に陥っているところに圧倒的なエネルギー量の攻撃を受けては無事なものはいない。帝国軍の艦艇は一瞬のうちに分子へと還元された。
「敵艦隊の一部が恒星アーメスの空間歪みにつかまったもよう」
「エネルギー乱流が激しくなっています。敵左翼艦隊、完全に乱流に巻き込まれました」
「敵右翼艦隊、撤退を始めました」
「敵中央艦隊、我が軍に向かって突進してきます」
 旗艦「飛龍」の艦橋を情報士官達の声がとびかった。
「すでに勝利は確実ですが、まだ敵の中央艦隊がこちらに向かってくるようです。どう対処しますか」
 艦隊司令官付き幕僚ファン・ラープ准将が尋ねる。
「よし、敵艦隊の背後に見えるエネルギー乱流に反陽子ミサイルを数発撃ち込んでやれ。しばらくすれば、だまってくれるだろう」
 応えるとアルフリートは戦闘が一段落したといわんばかりに指揮官席に身をうずめた。
 数分後、「飛龍」から放たれた反陽子ミサイルは帝国軍の陣を破って、背後のエネルギー乱流に命中した。すると、飽和状態に達していたエネルギー乱流にガス雲と恒星アーメスの重力異常をともなって膨大な量のエネルギー爆発を引き起こした。一○○隻前後の艦隊を一瞬にして原子崩壊させるだけの爆発である。帝国艦隊は残った艦の半数をここで失うことになった。
「敵艦隊、戦場を離脱していきます。追撃なさいますか」
「いや、いい。我々もこれ以上戦っている時間の余裕はない」
「飛龍」の艦橋は安堵と勝利の笑いに満ちていた。五○○隻の艦隊で六○○隻の艦隊に圧勝したのだ。
 しかし、まだ本来の目的である要塞「バルディアスの門」の攻略に成功したわけではなかった。相手には未だ戦場での敗北を知らない男がいるのである。
「天頂方向430光秒に艦隊反応。数はおよそ……え!数はおよそ一四○○隻」
 レーダーを監視していた情報士官の声が震えた。艦橋を一瞬の沈黙が支配する。
「なんだって、一四○○隻の艦隊だって」
 楽天家のファン・ラープもさすがに叫んだ。クレティナス軍の数は戦闘で破壊された艦を除いて四五○隻、しかも一回の戦闘を終えたばかりである。
「どうなさいます、閣下」
 幕僚たちの視線が一斉に若き司令官に注がれた。
「仕方ない。退却する。現有戦力だけではあの数の敵には勝てない」
 アルフリートは唇を噛んだ。帝国軍の数は予想外のものであった。いままでのクレティナス側の情報では「バルディアスの門」に駐留する帝国艦隊の数は六○○隻前後、およそ一個艦隊と言われていた。アルフリートは、艦隊が帝国軍の第一陣と接触した時点で、すでにユークリッド・タイラーの本体が別にあることを予測していたが、その数はおおよそ一個艦隊ぐらいであろうと踏んでいたのである。ところが彼の予想に反して、実際の敵は一四○○隻を越える大艦隊であった。
「なるほど、もう少し遅かったら、こちらが逆に包囲されて殲滅させられていたということか。命拾いしたようだ」
「しかし、このベルブロンツァでは勝利を収めました。それで結構じゃないですか」
 ファン・ラープは不満の残るアルフリートをうながすように言った。
「ああ、こうむった損害ではこちらの方がきわめて少なかった。それだけのことさ。未だに敵の要塞は無傷のまま残っているし、ユークリッド・タイラーは生きている。今回の戦いは、戦略的にはまったく意味がないものだった。」
 アルフリートはぼんやりと次第に離れていくベルブロンツァ恒星系を眺めやった。そして、シートを倒して横になるとまぶたを閉じて呟いた。
「終わったな」
「ええ」
 ファン・ラープも短く応えて遠ざかる星の海に視線を向けた。
「さあ、帰りましょう。愛する恋人と美しいご婦人方が待つ我らが故郷へ」

 クレティナス軍が本国へ帰還していったのと同じ頃、ユークリッド・タイラー率いる第七、第一九の二艦隊がベルブロンツァに到着していた。戦場はクレティナス軍によって破壊された帝国艦隊の残骸で満ちあふれていた。宇宙服を着ずに宇宙に放り出された将兵たちの屍がまだ残るエネルギー乱流の流れに乗って漂っていた。
 タイラーが到着したとき、敗戦の責任者であるはずのヴァルソ・カルソリー中将はすでにかえらぬ人になっていた。クレティナス軍との戦闘で旗艦トラーナの艦橋に直撃を受けて深手を負っていたのである。タイラーの到着する二○分前にカルソリーは息をひきとっていた。第三二艦隊の首脳部で生き残ったのは、その時第二作戦司令室にいたエンリーク・ソロ准将一人であった。
「申し訳ないことだが、敗戦の責任を君にとってもらわなければならなくなった。生き残った将官の中で君が一番階級が上だ、エンリーク・ソロ准将」
 通信パネルの画面を通して千年帝国バルディアス方面軍総司令官ユークリッド・タイラー大将がため息まじりに語った。
「私の努力が足りないばかりに、司令官を死なせてしまいました。謹んでお受けします」
「すまない」
 帝国最高の名将は目を閉じた。彼の言葉にはエンリークに対する詫びの心情が強く現われていた。
「一つ聞きたいが、最期にカルソリーは私のことを何か言っていたかね」
「いえ、一言も。ただ自分の器はこんなものだったのかと嘆いておりました」
「そうか、ありがとう。……君のことはいずれ軍法会議の沙汰を待って報告する」
 神将タイラーはエンリーク・ソロを見つめて一瞬沈黙すると、通信パネルの前から姿を消した。
 一人の若い有能な将官が、敗戦の責任を負わされることになった。千年帝国において敗戦は決して許されることのない罪であった。責任者は重い場合で死罪、軽い場合でも降格されるのが必至であった。エンリーク・ソロに課せられた罰は、責任者の代理ということで本来よりも軽減されたものでったが、一ヵ月の謹慎と大佐への降格という厳しいものであった。

 こうして標準暦一五六二年八月の「ベルブロンツァ会戦」は幕を閉じた。クレティナス軍、千年帝国軍、双方にとって決して満足できる結果ではなかった。クレティナス軍の損害は艦艇五○隻、将兵一万三千人に対して、帝国軍は実に艦艇五二○隻、将兵一一万八千人の戦力を失うことになった。しかし、クレティナス軍は本来の目的である要塞攻略に成功しないまま退却している。戦略的な意味での勝敗は未だ決していなかった。




第2話

     2

 美しい緑の広葉樹林に囲まれた森の中の道を、青年は息急き切って走っていた。燃えるような赤い髪を風になびかせて、額には珠の汗をかいている。両手に彼の髪をもう少し濃くし たような赤いバラと、純白のバラの花束を抱えて、心をはずませていた。
「今日こそ、彼女に言うんだ。ぼくと結婚してくれって」
 士官学校の卒業をひかえて、青年は長年の我慢を捨てるときが来たことを感じていたのだ。彼女と知り合ってもう八年になる。父が王室の歴史研究首席委員に任命された時だから、ち ょうど彼が小学校を卒業したばかりのころだ。
 初めて会ったときの彼女は、彼より二つ年下の少し男勝りな少女だった。王宮に出入りが 許される王国貴族メルリーン伯爵の娘であったので深窓の美姫を想像したものだったが、実 際は随分とおてんばなお姫さまだったのである。父の仕事で屋敷を訪れたとき、彼女は紹介 されるやいなや、「わあ、赤毛、赤毛」と言ってまだ純真な少年の髪をつかんで放さなかっ たものだ。それから彼が屋敷を訪ねるたびに彼女は待っていたように喜び、二人はすぐに仲 良くなっていった。大人の心配も忘れて悪戯をしたり冒険をしたりの毎日がよく続いたもの だった。
 あれから、何年たった頃だろうか。おてんばな娘は美しい女性に成長し、少年も立派な青 年に成長していた。二人の仲は、自然なうちに友達から恋人へ、お互いになくてはならない 存在になっていた。
 森の道を越えて青年は大きな屋敷の門をたたいていた。彼の求める女性は、門の奥の立派 な屋敷のなかにいる。青年は息を整え、ポケットからハンカチをだして汗を拭いた。召使に 話をして、彼女を呼び出してもらう時間の長さを無限のものに感じたのは、彼の精神が限り なく高揚していることを物語っていた。実際は数十秒も待っていないのだが、彼は何時間も 待たされた気分になっていたのである。
「……そんなに慌ててどうしたの。……汗をかいているじゃない」
 扉を開いて出てきた少女は、青年の突然の来訪に驚きを隠せなかった。彼女の目に映った 青年は、片手にバラの花束をかかえ、いつになく真剣な顔をしていた。少女は直観的に事態 を理解したが、言葉になって出たのは意味のないものだった。
「早く拭かないと、風邪をひくわよ」
「あっ、いや。……汗は拭いたんだけどね。なんか次から次へと出てきちゃって。あは!今 日はちょっといつもより暑いね」
 青年は緊張していた。昨夜から練習したはずの言葉が素直に出てこなかった。少女は青年 の姿にもどかしさを感じながら黙って次の言葉を待った。
「レティシア、今日来たのは……」
 青年は持てる勇気を総動員して必死に次の言葉を発していた。
「はい」
 少女は青年の言葉を息を飲んで待っていた。
「今日来たのは……レティシア!ぼくといっしょになって欲しい。今すぐでなくてもいいん だ。ぼくが出世してからでもいい。だから、ぼくと結婚してくれないだろうか」
 夏の暑い日差しを背に受けて赤い髪の若者は、金髪の清楚で可憐な少女に恐る恐る両手の 白と赤のバラの花束を手渡した。少女は、にっこりと青年に微笑みかけ、白く細いその腕に 花束を受け取った。
「はい」
 少女はうれしさと恥ずかしさにうつむきながらもはっきりと答えていた。
「やったあ。ありがとうレティシア」
 青年は大声をあげて飛び上がっていた。緊張と不安が一気に飛び去り、代わって喜びが彼 の心を支配したのだった。
 いつのまにか青年の腕の中には少女が抱かれ、二人の幸せそうな明るい笑い声が周りに響 いていた。二人の幸福はいつまでも続くかのように思われた。

 惑星フェリザールの西半球は、人類の故郷である青き星の半分と同様に、深淵の闇の中に あった。母なる太陽は、まだフェリザールの東半球の上にあって人々に慈悲の光を与えてい た。人類文明の五分の一をその支配下におく恒星間国家クレティナス王国の王都は、惑星フ ェリザールの北半球、現在夜になっている大陸にあった。
 王宮から二○キロほど南にいった市街地のはずれにクレティナス戦略宇宙軍の官舎があ る。独身の将官や単身赴任の将官が三百人ほど暮すちょっとした高級マンションである。戦 略宇宙軍に属す第四四艦隊司令官アルフリート・クライン少将はその官舎の一室に自分の生 活の場をもっていた。といっても、遠征で宇宙に出ていることが多かったアルフリートにと っては、この官舎のほうが仮の住居と言ってよかったが。
 ベルブロンツァでの戦闘を終えて三ヵ月ぶりに家に戻ってきたアルフリートは、その夜宇 宙での疲れを忘れゆっくりと眠ることができるはずであった。しかし、久しぶりに軍服を脱 ぎ軽い夕食をとって温かいベッドに入ったアルフリートは、なかなか寝付けずに苦痛の時間 を過ごしたのち、思い出したくもない昔の夢を見ることになったのだった。

「レティシア、行かないでくれ。ぼくを置いてかないでくれ」
 金髪の美しき女性は目を細め哀しい視線でアルフリートを見つめていた。
「ごめんなさい、アルフ。でも、どうにもならないのよ、私たちの力では」
「だったら、逃げよう。いっしょにこの国を捨てて、まだ知らない国へ。ぼくたち二人なら、 どんなことがあってもやっていけるはずだ」
「だめよ。あなたは、わたしにあの老父を置いてこの国を捨てろというの。わたしにはそん なことできない。今までこんなにも愛してくれた老父を残して行くなんて」
「レティシア!」
「許して。わたしはもう決めたの。アスラール殿下の許に行くことに」
 レティシアのほおを大粒の涙が伝っていた。アルフリートは体を震わして彼女の腕をつか み、もう会うことができないかも知れない恋人に心のすべてをぶつけていた。
「ぼくはどうなる。君を失ってぼくに何が残るというんだ」
「愛しているわ、アルフ。今までも、これからも。……でも、ごめんなさい」
 アルフリートは立ち尽くしていた。迎えにきた王宮の車に乗せられていくレティシアの姿 を、いつまでも彼のエメラルドグリーンの瞳は追っていた。
 彼女は次期国王に決まっていた王太子アスラールに見初められたのだった。王宮の舞踏会 で踊る彼女の姿を見て、一目でほれてしまったというのである。彼自身は直接彼女に対して妃になるよう強制はしなかったのだが、彼の取り巻きたちが彼の関心を買おうとあちこちに 手を回し、結果的にアルフリートの前から彼女を奪っていったのである。婚約が決まってか らまだ一ヵ月も経っていない時のことだった。
「何が王太子だ。王子様なら何をやってもいいっていうのか」
 アルフリートの悲痛な叫びはいつまでも町を覆っていた。
 しかし、そんなやるせない気持ちのまま時を過ごしたアルフリートを、三ヵ月後もう一つ の不幸が襲った。唯一の肉親であった父ジークフリード・クラインの死である。
 彼の父ジークフリードはクレティナス王国の下級官僚で宮廷書記官を務めていた。実直な 性格の男で職務を忠実にこなし何事においても隠し事がなかった。そのせいか、平民という 身分ながらもメルリーン伯爵などのような貴族の友人を持ち、同僚からの評価も高かった。
 しかし、彼には誰も知らない奇行があった。宮廷書記官という役職を利用して、王宮に保 管されていた歴史書を調べていたのである。当時、クレティナス王国を含め銀河に存在する 国々は独自の歴史を有し、それ以外の国の歴史の存在や研究を許していなかった。しかも、 それぞれの国が採用する歴史にはどれもこれも一部に不自然なところがあり、人類としての 正しい歴史を伝えているものは何一つなかったのである。以前から、歴史研究に興味を抱き、 どうして不自然さが残っているのか調べ続けてきたジークフリードは、たまたま書類を取り にきた王宮の書庫で疑問を氷解させる書物を見つけたのだった。
 それは、五世紀以上昔の歴史家アウター・フォーエンの手による書「人類の歴史」であっ た。ジークフリードはそこで一般の人々に知られていない真実の歴史を知ることになった。 不自然さの残る歴史の謎、千年帝国成立以来すべての国々で消され続けてきた事実。ジーク フリードはすべてを知ったとき今までの価値観が崩れさるのを感じた。
 その後、彼は歴史の探求に精力を尽くし、彼なりの歴史観で人類史をてがけている。しか し、そんな折りジークフリードは突然の失踪をとげた。アルフリートがちょうど新米の少尉 として初陣に臨んでいた時である。二週間後、彼が戦場から戻ったとき、ジークフリードは 帰らぬ人となって発見されていた。酔って川に落ちての心臓マヒだったと伝えられている。
 アルフリートは泣いた。最愛の恋人を失い、唯一の肉親である父を失った。この世のすべ てが嫌になり、酒に溺れた。彼が最初に功績を上げた戦いも、半ば自暴自棄になった人間だ からこそできた作戦であった。軍での地位があがり若き英雄とあがめられても、それから半 年間の彼は乱れた生活を送った。アルフリートが本当の意味で立ち直り、クレティナスの英 雄への道を歩きだしたのは、父の残した彼への手紙を見つけた時からであった。
 それは次のようなものだった。
『……アルフリート、私の命は長くはない。私は秘密を知ってしまったのだ。この国の次な る国王アスラール殿下の秘密を。……私はそのことを誰にも言うつもりはない。だが、この まま生きていけるのか私には自信がない。そこで、お前にひとつだけ頼んでおきたいことが ある。私のできなかった本当の歴史を取り戻してほしいのだ。この国だけではない。銀河の 歪められた歴史のすべてをだ。忘却の淵に葬り去られた人類の真実の歴史、真の自由と平和 に満ちた偉大な歴史を……』
「父さん!」
 アルフリートの父は宮廷内の争いに巻き込まれて死んだのだった。アルフリート自身、詳 しいことは知らない。しかし、王太子アスラールが関係していることは確かだった。父も恋 人も、すべて王宮という平民の力ではどうにもならない世界の力に翻弄されたのだった。
「倒してやる。国王も貴族もすべてだ。そして……銀河に歴史を取り戻すんだ」
 この日以来、アルフリートのたった一人の戦いは始まった。彼の脳裏にはもはや昔の恋人 を取り戻そうなどという考えはなかった。より大きな、忘却された歴史を取り戻すための戦 いである。彼のエメラルドグリーンの瞳は再び輝き始めていた。

 アルフリートは深淵の眠りから目覚めていた。体中に汗をかきシーツを濡らしていた。
「嫌な夢だった。忘れていたはずだったが」
 ベッドから起き上がり、鏡に映った自分の顔を見る。そこには、やや疲れた冴えのない顔 があった。
「まいったなあ、これから王宮に行って陛下に会うというのに」
 言った瞬間、アルフリートは自分がこのような夢を見た理由に気が付いていた。
「レティシアに会うかもしれないな」
 頭では忘れたつもりであっても、心には深い傷となって残っていた。幸いにして、彼は彼 女に対して恨みなどもっていなかったが、あまり会いたくない人間には違いなかった。
 アルフリートはさっぱりするためにシャワーを浴びた。戦略的な勝利ではなかったとはい え、形上は勝利を収めての凱旋将軍である。あまりみっともない姿をアスラールの前には見 せたくなかった。汗を流し髪を洗い、クリーニングから還ってきたばかりの深緑の軍服に身 を包んで、彼は軍の官舎を出ることにした。
「ブー!」というブザーの音が鳴って客の到来をコンピュータが報せた。アルフリートは慌 ててモニター付きのインターホンのスイッチを入れ、客の顔を覗いた。
「お早ようございます。クライン中将」
「ん?何だ、ファン・ラープ准将か。いったい何のようだ、こんな朝っぱらから。……それ からだいたい私は中将じゃないぞ、まだ少将だ」
「いえ、特別の用事があったわけではないのですが……今日は早く起きましたのでサービス に起こしてさしあげようと参上いたしました。」
 間の抜けたファンの顔を見せられて、アルフリートはホッと気持ちが落ち着くのを感じた。 軍人として生きてきたこの五年の歳月が彼を完全に戦場の人間に染めていた。決して戦争が 好きなわけではない。しかし、こうして戦場を離れても、軍での仲間に会うと何故か落ち着 くのだった。
「……ありがとう、ファン」
 アルフリートは戦場での彼と違って素直に礼を述べていた。
 不意打ちをくらったかのような表情をしたのはファン・ラープだった。
「えっ!今なんと」
 ファンがアルフリートにあいさつしに来たのは、彼をからかってやろうという低い次元の 発想から生まれたものであった。戦場から帰還してまさか一人の夜は過ごしていまい。どこ かの美姫がいっしょにいるにちがいない。そう想像して出向いたファンだったが、現実は思 いっきり肩透かしをくらうものだった。
「別にいい、それよりも私は王宮に行かねばならないんだ。また後で会おう」
 アルフリートの表情に笑みが浮かんでいた。
 ファンは理解しがたげに頭をかしげていた。

 現在クレティナス王国の王位に即くのは、王国史上最高の名君と噂される第一五代アスラ ール三世である。建国王リュシターの偉業さえもかすめさせるその勇名は、小国であったク レティナスを銀河の五分の一を支配する強国に成長させたその業績に起因する。厳密に言え ば、その業績は彼が王位に即く前の王太子時代に成し遂げたものであったが。
 アスラールが王国の実権を握って以来この一○年間、クレティナス王国は実に百数十回に も及ぶ戦闘を繰り返している。アスラール自ら行なった二○数回の親征もその中に含まれて いるのだが、驚くべきはこの間のクレティナス軍の勝率である。双方引き分けと認められる 戦いを除いてのこの一○年間の勝率は、なんと九割りを越えていた。百戦して百勝というわ けではなかったが、その数字は隣国を脅威に陥れるのには十分であった。
 しかし、その例外として存在したのが銀河皇帝を擁する千年帝国である。
 ベルブロンツァ恒星系で行なわれた千年帝国とクレティナス王国の四度目の戦闘は、実質 的な意味ではクレティナス軍の勝利に終わっている。これは、直接指揮をとった相手が神将 と呼ばれるユークリッド・タイラーでなかったとはいえ、クレティナス軍にとっては千年帝 国軍に対する初めての勝利であった。
 それゆえに、たとえそれが戦略的な勝利でなくとも、政治的に、あるいは心理的に価値の あるものであり、クレティナス軍首脳部は戦いの功労者であるアルフリート・クライン少将 に対して、称賛と中将への昇進を与えることにした。信賞必罰、クレティナス軍の強さはそ の徹底した実力主義にある。能力のある者には身分を問わず重職が与えられ、功績のあった 者には恩賞が与えられるのである。だがそれらを含めても、クレティナスは依然、王侯貴族 といった階級の支配するところにあった。
 特権を排除し、すべての国民に平等な機会が与えられ、階級に縛られることなく自分の生 きたいように生きられる自由な社会、ジークフリード・クラインが求めた、そして、アルフ リート・クラインが目指している社会は、千年以上も昔に葬り去られたそんな世界であった。
 アルフリートが王宮に参内したとき、国王アスラール三世は執務を終えて王の私宅である 後宮に下がっていた。通常、いかなる場合があっても国王の許しがなければ、男はそこに入 ることができない。アスラールが王位に即いてから女官の数は著しく減っていたが、後宮は 現在でも女の城としての地位を保っていた。
 アルフリート・クラインは医者と侍従以外の平民出の男としては初めて後宮に通されるこ とになった。アスラール三世が公的にではなく、私的な意味でアルフリートに会いたいと強 く希望したからである。
 王宮も同様だが後宮など王の近くの建物は、すべてきらびやかな調度でととのえられてい た。アルフリートにとっては見る物すべてが目新しく、多くの人の財の蓄積によって創造さ れた壮麗な空間にその視覚を圧倒された。
 かなり年を取った黒服の侍従長に案内されて、アルフリートは後宮の一室に通されていた。 そこは、見た目にはそれほど贅沢な調度品はなかったが、部屋の作りが独特の雰囲気を醸し 出す、後宮にしては少し小さいほうの部屋であった。
「クライン少将、よく来てくれた。さあ、入ってくれ」
 アルフリートを待っていた王の第一声は、主君と臣下というよりも友が旧友を呼ぶときの ようなくだけたものであった。
「ハ、ご無礼申し上げます」
 深い一礼をして部屋に入ったアルフリートは、用意されたソファーに腰を降ろすと、恐る 恐る視線を上げた。そして、次の瞬間、彼の瞳には古代の神にも似た美しさを持つ国王と、 その横に並ぶ優しい目をした美しい女性が映っていた。
「レティシア!」
 口だけは動いたが精神力で声が出るのを押さえてアルフリートは視線を外した。
「クライン少将、そのように堅くならなくてもいい。今日は王とか臣下といった関係を忘れ て友人として君と話をしたいのだ。レティシアにもそう言ってある。自由に話してほしい」
 アスラール三世は機嫌よく語りかけた。彼の回りの者はともかく、彼自身は彼の妻である レティシアがアルフリートのかつての恋人であったことを知らない。アルフリートに対する 配慮が欠けていたとしても仕方のないことだった。
「どうぞ、お食べになって。わたくしが作ったものですけど」
 レティシアはゆっくりとした動作で小綺麗な箱からケーキを取り出すと、アルフリートと アスラールの前にそれを並べた。
 王妃になってからのレティシアは以前にも増して美しかった。昔のおてんばな娘の面影は どこにも残っていない。アスラールとの会話中レティシアは、アルフリートに対して終始笑 顔を見せていた。
「幸せにやっているんだろうか、アスラール陛下なら大丈夫だと思うが」
 ふとアルフリートはそんなことを考えていた。表面的にはともかく、内面的には主君であ るアスラールは彼にとって恋人を奪い父の死にも関係した憎むべき敵だったのだ。自分でも 意外さを感じずにはいられなかった。しかし、彼の主君は人間的に好感の持てる優しい人物 だった。アルフリートは理性的にそれを理解していた。
 アスラールとの会話は一時間以上に及んだ。先日のベルブロンツァ会戦のことから、アル フリートが今まで戦場で経験した出来事などを次から次へと語り、アスラールはそれに興味 をもって耳を傾けていた。彼は国王と言っても性格的には武段的な側面が強く、こと話が戦 略・戦術の分野に及ぶと彼自身、身を乗り出して自分の理論を熱っぽく語った。
 そして、時間の経つのも忘れて語り合った後、頃合をみてアスラールが切り出した。
「余が考えていたとおり、君は知勇兼備の名将のようだ。これなら余の期待に応えてくれる だろう。……実はまだ正式に決定されたことではないのだが、余は千年帝国に対抗するため 高度に自由な作戦行動を許した艦隊の創設を考えている。余と王国軍司令長官の命令以外、 一切の制約を受けない一種の自由艦隊だ。人事面でも大幅な権限が与えられる。どうだろう、 君にその艦隊を率いてもらいたいのだが」
 アスラールの提案は大胆なものだった。作戦行動の自由が許された艦隊といえば、完全な 独立軍である。従来のクレティナス艦隊とは一線を画し、前線司令官に巨大な権限が与えら れる艦隊となる。アルフリートは正直言って驚いた。
「そのような大任、どうして小官のような若輩者に」
「常々考えていたのだ。ユークリッド・タイラーのような名将を有する千年帝国に勝つため にはどうしたらよいのか。相手は千年帝国だけではない。この銀河には、まだ余の知らない 強国が数多く存在している。しかし、それらすべてに対処するほど余の手は広くはない。そ こで余は、各地で起きた抗争を速やかに解決し、余に代わって自由に戦える艦隊が必要であ ると考えたのだ。すなわち自由艦隊だ。その司令官は、戦術面だけではなく戦略面でも高度 な判断が要求される。クレティナス軍全体の方策から各地で展開される戦況まで把握しなく てはならない。それらをやりこなすことができるとしたら、それはまだ若い有能な人物であ ると余は確信している」
「陛下は、それが小官であるとおっしゃるのですか」
「そうだ。期待している」
「ですが、それでは現在、小官が指揮する四四艦隊の方はどうなるのでしょうか」
「その後任なら考えてある。確か君と同期だったはずだが、グランビル少将という男だ。彼 なら君もよく知っているだろうから心配あるまい」
「……承知しました。非才な身ながら全力を尽くします」
 一呼吸おいて、アルフリートは応えていた。彼に対する国王アスラールの信頼は想像以上 に厚い。いずれは反旗を翻すかも知れない若い司令官に対して、国王は絶対の信用を置いて いていた。あるいは、アルフリートの本心を見抜いた上で、彼に権限を与えてその能力を利 用しようとしているのかも知れないが。
 いずれにしても、これによって大きな権限がアルフリートに与えられることになった。二 五歳の赤毛の青年は、少将から中将に昇進し、第四四艦隊の司令官から第四九艦隊の司令官 に任命されたのである。しかも、新設された第四九艦隊は、従来の艦隊の二倍の戦力を有し、 艦数でおよそ一○○○隻を越えるものであった。
 国王との会見後、後宮を後にしたアルフリートの表情は明るかった。レティシアの姿も脳 裏に焼き付いてはいたが、今は新しい任務への期待の方が彼の心を大きく占めていた。遥か なる理想を抱き、より高い次元へ飛翔しなければならないアルフリートにとって、指揮権の 拡大は、夢の実現への大きな前進だったのである。
 数週間後、アルフリートは王国軍司令長官ジュール・ベルトール元帥の呼び出しを受ける ことになった。
 王国軍司令長官とは王国軍の最高首脳部に列する役職の一つで実質上クレティナス軍の 最高責任者である。国王アスラール三世に何かあった場合には、ただちに王国軍最高司令官 代理となって王国軍の全指揮を執る重責も担っている。この役職の者が責任を負う相手は、 クレティナス王国宰相リード・ウォンテリュリーと第一五代国王アスラール三世の二人しか 存在していない。
 ベルトール元帥は、まだ三○代前半の貴族出身の若者ではあったが、クレティナス軍にお いて最高の名将と名高い。高度な戦略的視眼と天才的な用兵手腕を有し、アスラール三世を して彼の偉業の最大の功労者と言わせしめたほどの男である。国王の絶対の信頼と将帥たち の絶大な信望を一身に受けて、彼はクレティナスの重鎮として存在していた。
 王国軍最高司令本部ビルの最上階にあるベルトール元帥の執務室をアルフリートが訪ね たのは標準暦一○月一日のことだった。インターホンを通して参上した旨を伝えたアルフリ ートは、元帥の秘書官に呼ばれるのを待って部屋に入った。
「待っていたぞ、『赤の飛龍』。まあ、かけてくれ」
「失礼します」
 ベルトール元帥は懐かしい表情でアルフリートを迎えた。まだ閣下と呼ばれる以前に、ア ルフリートは元帥が直接指揮をとる艦隊にいたことがあったのである
 執務机の前に置かれた椅子に腰を降ろしてアルフリートは、偉大な英雄である元帥を仰ぎ 見た。ベルトール元帥は机の向こうで立ち上がっており、アルフリートを見下ろすようにし て立っていた。彼は決して偉丈夫前とした体格ではなかったが、貫禄があり堂々としたその 態度は充分称賛に値するものであった。
「先に陛下からもお話があったと思うがアルフリート・クライン中将、本日付けで君を第四 四艦隊の司令官職から解任し、新設される第四九艦隊の司令官に任命する」
「はい、謹んでお受けします」
「うむ、いい返事だ。……それから、これは前例のないことだが、君の艦隊は自由艦隊とな ることが決まっている。私と陛下から特別の命令のない限り、作戦行動はすべて君の判断に 任される。それだけ、大きな責任を負うということだ。王国軍人として恥ずかしくない行動 を取ってもらいたい」
「承知しております。責任の重さを痛感しますが、私の全精力をもって職務を遂行する所存 です」
「よろしい、軍首脳部は君に期待している」 形式通りの動作でアルフリートに辞令を手渡 して元帥は一息置いた。
「ところで、一つ君に訪ねておきたいことがあるが、答えてもらえるだろうか」
「答えられる範囲のことでしたら」
 すべてと言わないところが他の軍人と違ってアルフリートらしい。
「この度の人事で君には大きな権限が与えられることになったが、その第一歩として君は何 をするつもりなのか、異存がなければ聞かせてもらいたい」
「私はあまり先のことを考えるのは得意ではないのですが……」
「嘘を言うな。私は昔から君のことを知っている。考えていることを言えばいい」
 元帥は苦笑して昔の部下だった青年を見つめた。彼としてはこの前例のない自由艦隊の成 果に多大な期待を寄せている。もともと、案としては国王アスラール三世が考えだしたもの であったが、実現までに軍部内で画策したのはベルトール元帥であり、人事面で国王にアル フリートを推薦したのもベルトール元帥であった。
「では正直に申しますと、再度ユークリッド・タイラーに挑むつもりです」
「それは個人的な意味でかね」
「いえ、戦略的な意味においてです。現在、我が国と千年帝国は交戦状態にありますが、未 だ戦略的には勝利を納めていません。それは、我が国と帝国の間に三つの要塞があり、我が 軍の侵入を阻んでいるからです。バルディアス、ヴァリアトゥール、エンプシャーの三門で す。特に、我々が帝国へ進攻する上でもっもと最短距離にあるバルディアス方面には、現在 帝国最高の名将と名高い神将タイラーがおり、鉄壁の守備を見せています」
「だったら、バルディアスを避けて通ったほうがよいのではないか」
「ええ、常識的には。しかし、それでは帝国に対する本当の意味での勝利は納めることがで きません。たとえ、迂回して他の門から帝国領に侵入したとしても、他の銀河の諸国はクレ ティナスをタイラー一人を恐れた弱小国とそしるでしょう。銀河諸国に対して有無を言わせ ないだけの力を示し、帝国に強い心理的ダメージを与えることができるとすれば、それは唯 一、正面きっての戦いでユークリッド・タイラーを破ることだと思います」
 語りながら、久しぶりに体が熱くなっていることにアルフリートは気が付いていた。不思 議なものである。敵将であるタイラーの名前を出すたびに彼の体はふるえていた。
「君の見識はよくわかった。しかし、そのタイラーに勝つための具体的な作戦は考えてある のか。戦う意志だけでは敵には勝てんぞ」
 元帥は話にうなずきながらも肝心な部分が欠けているのに気付いていた。
「はい、そのことでしたらすでに案がございます。準備に時間がかかりますのでいましばら く猶予が必要ですが、元帥閣下にはいずれ近いうちにご披露したいと思っております」
「で は、今日はまだ見せてはくれぬというのだな」
「残念ながら」
「……わかった。君はやるといったら必ずやる男だ。信じるとしよう」
 元帥は一応の満足が得られると、深くうなずいた。
「それから、必要となる物があったら何でも言ってくれ。協力は惜しまぬつもりだ」
「ありがとうございます。閣下のご期待にそえるよう微力を尽くします」
 アルフリートは考えずにはいられなかった。おれは何のために帝国と戦うのだろう。国家 のためなのか、国王のためなのか、あるいは銀河の平和を望む多くの人々のためなのだろう か、それとも……。タイラーとの決戦は、果たして自分の求める歴史を取り戻す戦いに必要 なことなのだろうかと。
 年明けには再び、彼は宇宙の人となっているだろう。新しい艦隊の準備は着々と進んでいる。とりあえず、今彼に求められる仕事は、彼の腹心になるかもしれない人事スタッフの選 考であった。
 アルフリートには考えることが多い。時の流れが彼に対して一歩の停滞も許してくれない ようだ。
 しかし、一○月一日の彼は、そんなことを忘れて元帥の執務室から退出するこにした。

 忘却の歴史がある。千年の昔、数世紀以上にわたって花開いた人類最良の時代。人が人と して生き、支配という名の悪魔から完全に解放されていた、あの光り輝く黄金の時代。今と なっては、誰にも思い出すことができない。
 人類の真実の歴史は、宇宙標準暦四九二年、惑星トランサクトに後年、千年帝国と呼ばれ る銀河帝国が成立したことによって末梢された。当時、専制主義体制をとって成立した銀河 帝国は、民主主義を信奉し全人類の未来を一身に担って繁栄していた銀河連邦と交戦状態に あった。もともと帝国は銀河連邦に参加する共和国の一つにすぎなかったのだが、元共和国 の軍人であったグレイザー元帥のクーデターによって政権が軍事独裁体制に移行されると、 ただちに連邦諸国に侵略を開始し、わずか一一年で連邦の大半を支配していたのだった。
 グレイザー元帥は、連邦に広がっていた民主主義を、人間を堕落させる悪と決め付けその
一掃に心血を注いだ。それに対して、連邦は必死の抵抗を試みたが、数百年に及んだ平和の 時代が彼らを弱体化させ、グレイザーの率いる軍団の前に連邦の艦隊は完全な敗北を喫した のだった。そして、さらに一七年に及ぶ戦闘を経験したとき、連邦自身も民主主義の理念を 忘れ、国家社会主義の名のもと戦う独裁国家へと変貌していた。
 銀河の戦乱が一応の終息を見せたのは宇宙標準暦五六○年、最初の戦闘から実に七○年を 経過した時のことであった。この頃には、帝国の建国者であったグレイザーはすでにこの世 を去っていたが、彼の思想は大きく残り、民主主義は徹底的に末梢されることになった。も はや銀河帝国の力に逆らえるだけの勢力はなく、専制主義、貴族主義的な風潮が支配的にな っていた各国では、帝国の指示にしたがって過去の歴史を抹殺したのである。そして、真実 の歴史に代わって、帝国の作成した民主主義の登場しない偽りの歴史が、あたかも本物の歴 史かのように後世に残されたのだった。
 しかし、それから五百年後、今までの歴史に疑問を抱き人類の真実の歴史の探求に挑戦し た者が登場した。偉大なる歴史研究家アウター・フォーエンである。彼は再び混迷の度合い を深めていた銀河各地におもむいて、昔の資料や失われた王朝の遺産を調べ、彼なりに真実 の歴史を完成させたのだった。ところが、時代が時代であったため、不幸にも彼は当時始ま ったばかりの第三次銀河戦争に巻き込まれ、真実の歴史を民衆に伝えないまま、かえらぬ人 になっていた。
 そして、それ以降、真実の歴史は各国の王族や一部の貴族を除いて知るところでなくなり、 その探究者も民主主義復活を恐れる彼らの手によって弾圧あるいは抹殺されて、何の成果も あげられないままこの世を去っていった。
 その結果、人類の真実の歴史は、約千年にわたって深淵の闇のなかに眠っている。

 人類の歴史を奪ったのは千年帝国であり、その初代皇帝グレイザーである。だが、千年を 経過した今となっては、人類史上最大の罪を犯した彼とその仲間は存在しない。民主主義の 世の中では、祖先の犯した罪の責任を子孫が負うことはないという。ならば、千年帝国を攻 めることは間違いなのだろうか。……いや、彼らには罪がある。祖先が残した悪逆な遺産を 継承し、それを正そうともせずに守っている。これは、人類に対するおおいな罪ではないだ ろうか。その意味で見れば、彼らを守護するを自らの責務とし、アルフリートの前に立ちは だかるユークリッド・タイラーは、倒すべき敵である。
 そう結論付けたところで、アルフリートは思考を止めた。
「かなり、独善的だな」
 第四九艦隊のために用意された王国軍ビルのオフィスのなかで、執務机について書類に目 を通していたアルフリートは、自分の出した結論に気恥ずかしさを感じていた。
「しかし、人事とは面倒なものだ。いくら好きな人材を選んでいいと言っても、こんなに山 ほどあるリストの中からどうやって選べって言うんだ。まったく、司令官がどうしてこんな ことをやらなければならない」
 机の上に山積みにされた書類を見て、アルフリートはため息をついた。彼がこんなにも苦 労する理由の一つに、彼の任命した四九艦隊の首席幕僚があげられた。ファン・ラープ准将 という四四艦隊時代からの彼の部下だった男なのだが、やたらに調子よく「新しい艦隊副司 令官が見つかるまで私がすべての雑用を引き受けますから、閣下は人選と今後の行動計画の 作成に専念していて下さい」と言ったまま、首都の繁華街へ遊びに出て行ってしまったので ある。おかげでアルフリートは圧倒的な量の仕事におおわれて、すっかり勤勉の人になって いた。
「あいつ、今度帰ってきたら、絶対にただじゃあすまさないぞ」
 部屋で叫んでもどうにもなるものではなかった。司令官付きの秘書官が心配して彼に濃い コーヒーを運んで来る。
「ありがとう、心配ない」
 アルフリートはカップを取ると一気に飲み干した。
 それにしてもと、アルフリートは考える。地位の上昇は責任の拡大を伴うのは当然だが仕 事が増加するのは我慢できない。ユークリッド・タイラーは彼よりさらに高い階級にあって 一方面軍の総司令官を務めているというが、いったい自分の仕事をどうやってこなしている のだろうかと。
 人事や雑用をすべて中央の軍官僚に任せて自分は作戦の遂行だけに頭を使っていた、四四 艦隊の司令官時代が急に懐かしく感じられるアルフリートだった。
 クレティナス第四九艦隊の発足は宇宙標準暦一五六二年一二月一三日となった。最初の辞 令が出てから二ヵ月以上も時間がかかったのは、アルフリートによる人選が予想以上に難航 したことが大きく影響していた。
 しかし、その結果として彼が選んだ人材は充分に満足がいくものだった。みな能力的には 高い水準にありながら、身分や上官とのトラブルなどで不遇に甘んじていた平民出身の若い 将兵達であった。艦隊副司令官兼、第一分艦隊司令官には隙のない芸術的な用兵で知られる オスカー・ベルソリック准将を、第二分艦隊司令官には知性と理論の人グエンカラー准将を、 第三分艦隊司令官には強烈な攻撃を得意とする猛将スペリメンターレ・ブラゼッティ准将を 任命していた。そして、艦隊司令官付き首席幕僚にはファン・ラープ准将が四四艦隊から移 籍して就任した。
 それから一週間後の一二月二○日、艦艇一○○○隻からなる第四九艦隊は、二五万人に及 ぶ将兵と多くの人の期待を乗せて、彼らを待つ広大な星の海にその第一歩を示すことになっ た。




第3話

     3


 人類の歴史において、国の興亡とそれに伴う戦争は絶えたことがない。主義・主張の対立、 一個人による野心、理由は様々であるが、互いに掲げる大義名分は他者の存在を否定し大いなる闘争を引き起こす。
 千年帝国とクレティナス王国は建国の当初から対立していたわけではない。クレティナスの成立は宇宙標準暦一三○九年にさかのぼるが、ここ一・二年を除く二五三年の歴史の中で 両者の間には対立の記録は存在しない。近年の抗争は千年帝国にすればクレティナスによる 侵略行為と映っていたが、クレティナスにしてみれば千年帝国は二○○年にも及ぶ銀河の戦 乱をつくった張本人であり責任を取るべき相手であった。
 王都星フェリザールを発進したクレティナス王国軍第四九艦隊はユークリッド・タイラー の待つ千年帝国軍要塞「バルディアスの門」を目指すべく宇宙をひた走っていた。王国軍司 令部の公式文書、及び隣国大使に対する外交文書の中に第四九艦隊の行動は記されていない。 自由艦隊という性格上艦隊の行動はすべて事後処理的に作戦終了後に公式文書に載せられ る。よって、現時点での四九艦隊の行動は、非公式なものであった。
 艦隊はゆっくりと進んでいた。実際は光の速さにも迫る超高速で動いているのだが、大宇 宙の広さの中では遅々たる動きにしか見えない。悠久なる時間の流れは、人の小さな営みの すべてを包み込んでいた。
 アルフリート・クラインは宇宙が好きだった。人の魂を縛る重力から解放されて、無限の 大きさを感じる宇宙に身を委ねると、この世のしがらみをすべて忘れることができたのであ る。歴史を取り戻せと言い残して死んでいった父のことも、主君に奪われた恋人のことも、 そして、彼を待っている千年帝国の名将ユークリッド・タイラーのことも、すべて小さなこ ととして忘れられた。それゆえに彼は思うのだ。宇宙に身を任せた者にとって、国家だとか 信念だとかいったものは何の価値もないものだと。
 宇宙のなかの人間はあまりにも小さい。その小さな存在がいくつにも分かれて二○○年に も及ぶ戦争を続けている。なにゆえに人は戦うのだろうか。
 静寂の時間が過ぎていった。
 新しく第四九艦隊の旗艦となった戦艦「飛龍」の作戦会議室でアルフリートは副官が運ん できたコーヒーに口をつけていた。つい先刻まで、艦隊副司令官ベルソリック准将や分艦隊 司令官グエンカラー准将、ブラゼッティ准将といった艦隊の首脳を集めて「バルディアスの 門」攻略の作戦を論じていたのだが、彼らが自分の艦に戻るのを待って一息つくことにした のだった。
「なかなかすばらしい人材だな、彼らは」
 将官達が去ったあと最後まで残っていたファン・ラープ准将にアルフリートは語りかけて いた。四九艦隊が創設されてからファン・ラープはいつのまにかアルフリートの腹心のよう な立場になっていたのである。
「ええ。特にベルソリック准将は理論だけでなく実際の指揮の方も優れたものがあるといい ます。閣下に対する私の地位も少し危なくなってきましたね」
「ハハハ、おまえはあいかわらず自信過剰だな。自分の能力がそんなに高いと思っているの かい」
 本心では結構ファンのことを評価しながらもアルフリートは笑った。
「閣下は人が悪いですね。まだこの間のことを根に持っているのですか」
 この間のこととは、四九艦隊創設時の仕事が忙しいときに、ファンがさぼって街へ遊びに 行ってしまったことである。翌日、軍のオフィスビルに戻ったファンはアルフリートの苦情 を一時間も聞かされたのだった。
「そうかも知れないな」
 アルフリートの意地の悪い返答にファンは苦笑するしかなかった。
 戦場まではまだかなりの時間があった。今回の遠征は直接「バルディアスの門」を突く作 戦ではなく、クレティナス軍の最前線基地であるヴィストゥール要塞を経由して、そこで作 戦に必要な物をそろえてから「バルディアスの門」に向う予定だった。
 アルフリートの頭のなかには、「バルディアスの門」攻略の青写真が明確に描かれていた。 「流れ星」と名付けられた作戦である。現在、第四九艦隊のなかでその作戦の内容を詳しく 知る者はアルフリートをのぞいて四人しか存在しない。艦隊首席幕僚ファン・ラープ准将とベルソリック、グエンカラー、ブラゼッティの三人の司令官であった。
 最初、この流れ星作戦を打ち明けられたとき、ベルソリック、グエンカラー、ブラゼッテ ィの三人は驚愕の声を上げたものだった。
「何という作戦だ!戦術や戦略といった次元を越えている」
 三人は沈黙し、長い間彼らの若き司令官をじっと見ていた。
「……成功すると思いますか?」
 間を置いて言葉を発したのは光沢のある金髪と鋭い眼光の所有者であるオスカー・ベルソ リック准将だった。
「させるさ。失敗など考えていない」
 アルフリートの返答は短いものだった。しかし、その時ベルソリックに向けられた彼の瞳 には、誰にも妨げることのできない強い意志が存在していた。
「……恐ろしい人だ。私は正直、閣下のような人を敵に回さなくて良かったと思います。こ の上は非才な身ではありますが、私の持てる力のすべてを尽くしましょう」
 アルフリートは作戦の実行に際して三人に重要な任務を与えていた。それは、ヴィストゥ ール要塞で受け取った土産を「バルディアスの門」に届けるという聞く分には単純なもので あったが、実行にはかなりの困難を伴うものだった。しかし、彼ら三人ならば必ず成功させ てくれるだろうとの確信に近いものをアルフリートは持っていた。
 三人より先にアルフリートの作戦を聞かされていたファン・ラープは上官にならってコー ヒーを口に注いでいる。出征中ということで大好きなアルコールを飲むわけにはいかなかっ たが、彼なりに状況を楽しんでいた。
「それにしても……、閣下は本気でおやりになるつもりですか」
 ファンはアルフリートの意志を確認するように尋ねた。
「要塞を破壊してしまうことかい」
「そうです。帝国軍はあの要塞を建設するのに二○年を有したといいます。彼らも労力を無 駄にされては浮かばれないでしょうね」
 流れ星作戦の真意は要塞攻略にはない。本来、望ましいのは「バルディアスの門」要塞を 攻略占領し、それをクレティナス軍の帝国に対する侵攻の橋頭堡とすることである。しかし、 現実的に考えて神将タイラーの守る要塞を無傷の状態で手に入れるのは不可能なことと言 えた。
「そうだな。しかし、たとえ破壊してしまっても何の価値もないものだと私は思うね。要塞 なんて物は本来自由なはずの宇宙の道を閉鎖し、戦争をするためだけに存在しているんだ。 人類全体の利益を考えたら、ない方がいいに決まっている」
「閣下はあまり軍人らしくはありませんね。もちろん、私とは違う意味においてですが」
「私もそう思うよ」
 アルフリートはファンの言葉にうなずいていた。

 ヴィストゥール要塞は「バルディアスの門」より三・六光年を隔てたエトール恒星系の小 惑星帯にある。エトール恒星系には七つの惑星が存在し、小惑星帯はその第三惑星と第四惑 星の公転軌道の中間地点に輪になって帯のように連なっている。そこに軍事上の目的で建設 されたヴィストゥール要塞は、複数の小惑星を内部をくりぬいてつなぎあわせた簡単な作り のものであるが、最大で二○○○隻近い艦隊を収容可能な規模を誇っていた。常時、ここに は二五○隻からなる半個艦隊が駐留していた。
 アルフリート率いるクレティナス軍第四九艦隊がこの要塞に補給と作戦準備のために立 ち寄ったのは、宇宙標準暦一五六三年一月四日、王都星フェリザールを発ってから二週間目 のことであった。
「何度来てみても、あいかわらず殺風景なところだなあ。ヴィストゥールは」
 要塞に上陸して最初に発したファン・ラープの言葉には深いため息が混じっていた。流れ 星作戦を前にしてせっかく艦隊司令官アルフリートが将兵全員に一二時間の自由行動を許 してくれたというのに、ヴィストゥール要塞には何もなかったのである。
「一二時間もいったい何をしてひまをつぶせばいいんだ。遊ぶところもなければ女もいない。 おまけに飲酒は制限つきだ。これじゃあ、仕事をしていたほうがよっぽどましじゃないか」
 ファンは落胆せずにはいられなかった。おかげで、普段の彼には似合わないことを口走っ ている。他の者に聞かれたら笑いの種にされること間違いなしの台詞である。
「では、ファンだけ休みを取り消しにしてやろうか」
 背後から声がしてファンは振り向いた。そして次の瞬間、彼は顔を引きつらせていた。眼 前に意地の悪い視線を投げかけているアルフリートと必死に笑いをこらえるベルソリック 准将の姿があったのである。
「いえ、……遠慮させていただきます」
「何だ、労働意欲が湧いてきたんじゃないのか。残念だなあ」
 アルフリートの皮肉にも似た言葉がファンの太い神経に突き刺さった。
「残念ですなあ。私もたまには真面目に働くラープ提督の姿を見たかったんですが」
 さらに追い打ちをかけるようにベルソリックが続いた。
「二人ともやめてくださいよ」
 ファンは身を小さくして抗議の声をあげた。
 アルフリートとベルソリックはそれを見て大きな声で笑っていた。
「そんなことよりどうしたんです、二人とも。そんな格好をしてどこかに出かけるんですか」
 二人の宇宙服姿に気が付いたファンは気をとりなおして尋ねた。アルフリートとベルソリ ックはファイターやアースムーバーのパイロットが身につける機能性の高いスペーススー ツに身を包んでいたのである。
「宇宙だ。これから例の物を見に行こうと思ってな。ヴィストゥールは何もないところだが、 外の小惑星帯はなかなか面白いらしい。散歩のついでに見てこようとベルソリック准将を誘 ったんだ」
「ずるいですね。二人だけで楽しむなんて。私は誘ってくれないのですか」
「働き者のラープ准将は休みより仕事の方が好きだと思ってな。散歩なんかに誘ったら悪か ろう」
「いえいえ、そんなことはありませんよ。普段の私を一番知っているのは閣下ではないです か」
 ファンは自分から不真面目さを認めて応えていた。普段仕事をさぼっていることには何の 罪悪も感じない彼なのである。そんなファンに対してアルフリートは苦笑するしかなかった。
「仕方ない。連れていくとしよう」
 ヴィストゥール要塞外部の宙域には、直径二○キロを越えるものだけでも数千個の小惑星 が点在していた。最大のものでは直径二○○○キロもあり、惑星と言ってもおかしくないほ どの大きさがあった。また小惑星帯の平均的な密度は一立方センチあたり二・七六グラムで、 構成する主成分はFeケイ酸塩と鉄、ニッケル、マグネシウムなどの金属物質であった。
 アルフリート、ファン、ベルソリックの三人は練習用のアースムーバーにそれぞれが乗り 込んで小惑星帯を遊覧していた。特別にパイロットを頼むことなく、自ら操縦レバーを握っ ての飛行である。小さい氷の破片や宇宙塵を避けながらの操縦はスリルがあり、普段戦艦に 乗って艦隊の指揮を執る彼らにとっては、少なからぬ興奮を味わうことができた。「要塞『バ ルディアスの門』は『ウルド・ベルダンディ・スクルド』という三つの球状の要塞から成り 立っているんだ。一つ一つの大きさは直径四○キロを越えていて、それぞれに強力な要塞砲 が備え付けられている。要塞の装甲はビームを反射するぶ厚い金属で覆われていて、戦艦の 主砲くらいでは破壊できない。また、要塞には神将と呼ばれるタイラーの艦隊一四○○隻が あって、防衛にあたっている。それを通常の攻撃で破壊することはほとんど不可能と言える だろうな」
 流れ星作戦のための作業が行なわれている一つの小惑星を前にして、アルフリートは語り だした。直径二○キロ、質量一兆トン以上、平均密度一立方センチあたり二・九九グラムの 巨大な小惑星である。天体と言ってもおかしくないそれには、現在何千人もの要塞の作業員 がついて作業を続けていた。
「この要塞を破壊する手段としては二種類の方法が考えられる。一つは要塞の内部に侵入し 爆弾などによって要塞のコアを破壊する方法、もう一つは要塞の防御能力を上回る攻撃を外 部から加える方法だ。そこで、私は二段階による破壊作戦を考えた」
 操縦席の左右のスクリーンパネルにはファン、ベルソリックの顔が映し出されている。ア ルフリートの視線は彼らではなくメインスクリーンに映る小惑星に向けられていた。
「第一段階はすでに話したと思うが、あの小惑星を使う作戦だ。小惑星は全部で三個用意さ れているが、それぞれに建設中の要塞の移動などに使われている六基の推進装置が備え付け られている。それを『バルディアスの門』まで運んで三つの要塞に衝突させるんだ。これだ けのものをもらっては無敵の要塞もひとたまりもあるまい」
「そうですね。考えるほうも考えるほうですが」
 ファンはつぶやき、脳裏にアルフリートの恐い顔を思い浮かべていた。
「第二段階は第一段階が失敗したときに発動させる作戦だ。これは先にも言ったように、外 部からの攻撃がだめなら内部からというものだ。あらかじめ用意した帝国軍の艦艇にこちら の工作員を乗せて混戦のなか要塞内に侵入させる。そして、要塞のエネルギー制御システム を破壊して融合炉の暴走を引き起こし、要塞そのものを爆破する。まあ、こんなものだ。お そらく、こちらの作戦は使わずに済むと思うが」
「なるほど」
 ベルソリックはうなずいた。
「ところで、順調に作業が進んであと何日くらいかかるんです?」
 ヴィストゥール要塞が嫌いなファンが尋ねた。
「一週間と言ったところかな。そのあとの推進装置の試験運転がまだ四・五日くらいかかけ ど、二週間以内には出撃できると思うよ」
「ええ!まだ二週間もあるんですか」
 ファンは嘆いた。
 アルフリート達の乗る三機のアースムーバーは、流れ星作戦に使う小惑星から再び距離を 置こうとしていた。小惑星帯のなかをベテランパイロット顔負けのスピードで移動する。ア ルフリートはアースムーバーの操縦は下級士官時代以来久しぶりのことだったが、その技術 にはファンやベルソリックも驚かされるものがあった。
 小惑星帯には、小惑星を構成する金属鉄の固まり以外にも、宇宙塵や事故で難破した宇宙 船の残骸等が数多く散らばっている。中には、ほとんど無傷のまま小惑星に挟まれて動けな くなった宇宙戦艦もあった。三機のアースムーバーは、まるで船の墓場のように残骸が散在 する宙域まで進んで前進を止めた。
「話は変わるが君たちは『ラグナロック』という言葉を聞いたことがあるかい」
 破壊の後のような光景を目にしてアルフリートは尋ねた。
「我ら人類の故郷、地球の神話ですか」
「そう、北欧神話だ。それに出てくる言葉で『神々の黄昏』を意味するらしい」
「美しい響きの言葉ですね」
 ファンが似合わない言葉を言った。
「ああ。しかし、内容は恐ろしいものさ。この世の滅亡を意味しているんだからね。善なる 神々と邪神たちの引き起こした世界戦争、その戦いの末に世界のすべてを支える宇宙樹イグ ドラシルが枯れて、世界は滅んだという。……何となく今の世の中に似ている気がしないか い」
 アルフリートは目を閉じて、じっと思いをめぐらしていた。
「クレティナスが善なる神々で、千年帝国が邪神たちということですか」
「いや、どちらがいいとか悪いとかじゃないんだ。私が言いたいのは、巨大な二つの勢力の ぶつかり合いの果てに来る世界のことさ。神話では二つの勢力はともに滅亡している。共倒 れさ」
「………」
「興味深いことに『バルディアスの門』を構成する三つの要塞は北欧神話にちなんで名前が つけられている。『ウルド』は過去、『ベルダンディ』は現在、『スクルド』は未来を意味 する人間の運命を司る三人の姉妹神の名だ。神話のなかでは世界を支えるイグドラシル(宇 宙樹)の番をしている。我々はその三姉妹を破壊しようと言うんだ。面白いと思わないかい。 我々は彼女たちを倒してラグナロックを引き起こそうとしているんだからね」
 アルフリートの話のなかに危険なものを感じたのはベルソリックだけではなかった。いつ にはなくファン・ラープも厳しい表情をしている。アルフリートは確かに名将と言われるだ けの能力をもっていたが、どこかしら軍人という範囲ではとらえきれないところが存在して いた。
「つまり、閣下はこのまま戦争を続ければ、クレティナスも帝国も滅ぶとおっしゃるのです か」
「永久不滅の国家なんてあるわけがないだろう」
 アルフリートの声には冷たいものがあった。
「そう思いながらも閣下は戦おうとなされる。どういうことでしょうか?」
 ベルソリックの問いに対してアルフリートは沈黙していた。帝国が滅ぼうがクレティナス が滅ぼうが彼には関係なかったのである。彼にとっては、両者とも失われた歴史を取り戻す ために倒さなくてはならない敵であった。
「未来は誰にも予測できないものさ。それに私は、これから何が起きるかではなくて、何かをしようと考える方がずっと建設的だと思うね」
 しばらくの間を置いてのアルフリートの返答は、ベルソリックの期待するものとは違って いたが、彼にも理解できるところであった。
 未だに、アルフリートの真意を知る者は、この銀河にはひとりもいない。彼が何を目指し、 何をしようとしているのか、腹心を自称するファンでさえも知らなかった。アルフリートが、 千年もの長きにわたって続いた貴族による支配体制を変革し、失われた人類の歴史を取り戻 そうとしていることなど。
 人は戦いに目的を持って臨んでいるのだろうか。アルフリートは考えるのだった。国家を 指導する立場の人間は確かに何かしらの目的を持っているものだ。しかし、その下で手足の ごとく使われている将兵達は、はたして自分の戦う理由を知っているのだろうか。

「どうせ人を殺すのなら、理由がないよりもあったほうがましだろう。そのために、国のお 偉方は、戦争に聖戦だとか正統な権利の回復などとたいそうな名前をつけて、おれ達を戦場 に送っているんだ」
 千年帝国軍要塞「バルディアスの門」を構成する三つの要塞の一つ「スクルド」の士官室 で、エンリーク・ソロは友人のアイスマン大佐に熱っぽく語っていた。アイスマンは彼の士 官学校時代の同期生で、現在、神将タイラーの副官を務める優秀な男である。まだエンリー クが、ベルブロンツァ会戦の敗戦で大佐に降格される以前の、階級が異なるときにも、同格 の立場で会話ができる仲だった。
「お国の批判か?ほどほどにしておいた方がいいぞ。ただでさえ、お前は目をつけられてい るんだからな」
 アイスマンは友人の身を案じて忠告した。
「文句のひとつも言いたくなるさ。自分たちはぬくぬくと安全な場所にこもって、おれたち に戦え戦えと前線に送り付ける。それに、戦いに負けたら、敗戦の責任のすべてを前線の将 兵に負わせようとするんだからな。まともな奴なら、やってられないよ」
 エンリークは密かに持ち込んだアルコールをコーヒーに入れて一気にのどに注いだ。
「気の毒だったな。将官にまで出世しながら逆戻りなんて。上官のめぐりあわせが悪かった としか言いようがない」
「アイスマン、同情はいらんぞ。おれは別に後悔しているわけじゃないからな。ただ、世の 中の面白くないことに文句を言ってるだけだ。そこのところを理解しておいてくれよ」
「あいかわらず、正直な奴だ」
 時の経つのも早いもので、ベルブロンツァ会戦からすでに五ヵ月が経過している。その間、 エンリークは一ヵ月間、本国で謹慎し、四ヵ月間は再びバルディアス方面軍に呼び戻されて、 壊滅させられた第三二艦隊の残存部隊とともに、タイラーの直接指揮する第七艦隊に編入さ れていた。艦隊幕僚補佐というのが彼の身分であった。
 ここ数か月、「バルディアスの門」を守備する帝国艦隊は、戦いらしい戦いを経験してい ない。クレティナスの侵攻に備えて、未だ一四○○隻の艦隊が駐留しているのだが、食料と 人件費の無駄な消費を続けていた。仕事といっても、たまに付近に出没する「暗黒の牙」と かいう宇宙海賊を追うくらいで、艦隊が出撃するようなことはなかった。
「暇なのもいいが、たまには腕をみがかないとせっかくの才能も錆付くというものだ」
 これは、副官であるアイスマンにこぼしたタイラーの言葉である。神将と呼ばれるタイラ ーは、決して武を愛し文を軽んじる軍人肌の人間ではなかったが、暇な平和の時間が長く続 くと、やることを失って、何となく戦いがなつかしいものに感じられるのだった。
 ユークリッド・タイラーは宇宙標準暦一五二九年生れの青年で、千年帝国では男爵という 貴族の称号を持っている。エンリークやアイスマンと違って支配者階級に属す人間である。 しかし、彼の人間性は、出身や門地にとらわれることがなく、能力のある者なら誰に対して も敬意をもって応じることができた。それゆえに、帝国首脳部からの信頼ばかりでなく、彼 は部下や市民階級出の将兵からも絶大な人気を集めていた。貴族の嫌いなエンリーク・ソロ にとってタイラーだけは別格であった。
 エンリークはタイラーの執務室に呼ばれた。先日、帝国軍情報部にもたらされたクレティ ナス側の情報に興味深いものがあったので、彼の意見を聞いてみたいというのだった。
 部屋に通されてすぐに、エンリークは数枚の報告書を提示された。
「目を通して君の意見を聞かせてくれ」
 報告書を手にしたエンリークはぱらぱらとめくって声をあげた。
「自由艦隊ですか。クレティナス軍も面白いことをやりますなあ」
「その司令官にあの『赤の飛龍』が決まったそうだ」
 エンリークはその名前に特別な響きを感じた。
「アルフリート・クライン少将……」
「いや、先の会戦の功績で中将に昇進したらしい」
 先の会戦とはベルブロンツァ会戦のことである。これには、エンリークはもちろんタイラ ーも大きな借りがある。少数の艦隊によって、むざむざと一個艦隊を壊滅させられたのだ。 帝国にとってはクレティナスに対する初めての敗北であった。
「彼に作戦行動の自由が許されたとなると、また、バルディアスが戦場になるのも遠くはあ りませんね。きっと近いうちにここまで遠征してきますよ」
「君もそう思うか。噂では、すでにフェリザールを発進したとも聞いているが、どこに向っ たかは明らかになっていない。おそらく、彼はここに向っているのだろうが」
 エンリークとタイラーは同様の意見を持っていた。二人がアルフリートの思考や性格を知 っていたわけではないが、軍人としての直感がそう告げていたのである。
 しかし、アルフリートが攻めてくるとわかっていても、タイラーは特別な対応策をとるこ とはできなかった。敵がいつ到来するのか、どのような作戦を用いてくるのか、全く不明な のだった。要塞防御という任務がある以上、彼の行動の自由は、アルフリートほど広く認め られていない。相手の出方を待って、それに応じた作戦をとることしか、今のタイラーには できなかった。
「とりあえず、哨戒行動の強化と索敵衛星の設置くらいしかできないでしょう。あとは、い つでも艦隊が出撃できるよう待機させておくしかありませんね」
 エンリークの出した結論にはタイラーもうなずくしかなかった。
 アルフリート・クラインの勇名は、ベルブロンツァ以来、帝国軍の将兵たちのなかに浸透 している。タイラーには及ばなかったが、軍首脳部から高い評価を受けていたヴァルソ・カ ルソリー中将の敗死は、今までクレティナスに脅威を感じていなかった将兵たちに、再認識 の必要を迫るものとなった。
「敵の過大評価は、戦闘の士気の低下につながりかねないことであり、正常な判断を損なわ せる原因にもなる。常に冷静に考え、自分の力を信じて敵に臨まなくては、勝てる戦いも勝 てなくなるというものだ。君はもう少し、自分に自信を持った方がいい」
 士官学校時代の恩師に受けた言葉を思い出して、エンリーク・ソロは苦笑した。決して敵 が恐ろしいなどと思ったことはない。ただ、どんな敵にも細心の注意を払い、あらかじめ最 悪の場合について考えておくだけのことなのだ。しかし、エンリークは不吉な予感を感じず にはいられなかった。ベルブロンツァの会戦の時にも、彼の予感はあたっている。エンリー クは次に来るだろう戦いの敵が、アルフリート・クラインと予見して、一抹の不安を抱いて いた。
 結局、エンリーク・ソロの予感は、この後に行なわれることになったバルディアス会戦で 現実のものとなる。「神将」と「赤の飛龍」を戦わせたらどちらが勝つかという命題が一つ の結論を出すことになるのである。ところが、それが、後の新しき時代の始まりを呼ぶもの であり、彼の人生を大きく変えていくことになろうとは、彼自身も想像することができなか った。

 そして、宇宙標準暦一五六三年一月二二日、アルフリート・クライン率いるクレティナス 軍とユークリッド・タイラー率いる千年帝国軍が、この年、最初の砲火を交じえることにな る。いよいよ、運命の三姉妹の名を持つ「ウルド・ベルダンディ・スクルド」の三要塞の崩 壊によって、人類社会の壮大な「ラグナロック(神々の黄昏)」が始まろうとしているのだ った。










   
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